戦時中、兵士達を慰労するために内地から慰問文がたくさん送られた。
逆に戦地からこの返礼もたくさん出されている。
そんな葉書の一枚。
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無題
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差出人は満州国錦州省錦縣の「満州第318部隊」に所属する宮崎氏。
「318部隊」とは29師団に属する「歩兵第50連隊」を示す。
同連隊は長野県のいわゆる「郷土部隊」として知られるが、昭和16年4月に宇都宮の14師団から29師団に編入され、長野県松本市から満州の遼陽に移駐している。少し離れているが錦州省にも一部あるいは一時的にいたようだ。

「8、4、」とあるので「8月4日」に書かれたか届いた手紙と思われるが年は不明。
50連隊は移駐した昭和16年4月から補充担任も長野連隊区から名古屋師管の岐阜連隊区に変更されため昭和17年以降、兵隊の中心は愛知・岐阜県出身者だったという。文面から宮崎氏は長野県出身とわかるので、おそらく昭和16~7年頃のはがきと推測する。
※松本歩兵第50連隊は長野県のいわゆる「郷土部隊」として知られるが、上記の理由で意外にも昭和19年にテニアン島で玉砕したときには長野県出身者が少なかったらしい。ちょっとびっくりした。

送り先は長野県の諏訪高等女学校3年2部の関さん。
彼女が書いた慰問文への返礼としてこの葉書は書かれている。
慰問文の内容はわからないが、「何度も何度も拝読しました」
とあるので余程嬉しかったか。

宮崎氏がかつていた高島小学校は現在も諏訪市にあり、著名な出身者の一人が
相沢事件で殺害された永田鉄山だった。